【特別インタビュー】
番組で冠動脈狭窄を発見され、九死に一生
※上記写真はイメージです。
明るいキャラクターで、テレビのバラエティー番組を中心に、ラジオ、舞台など幅広く活躍中のタレント
――冠動脈狭窄の発見のきっかけは2016年4月のテレビ番組の企画だったそうですね。
関根 当時僕は62歳だったのですが、同じ事務所の後輩がレギュラー出演している番組で、心臓ドックを受診する企画が持ち上がりました。僕はお酒も飲まないしタバコも吸わない、適度に運動もしていたので、健康には多少の自信がありました。でも年も年だし、1度くらい検査してみてもいいかなと、気楽に検査を受けました。
――心臓ドックとは心筋梗塞、狭心症、弁膜症など、心臓病のリスクを調べるものですね。どのような検査でしたか。
関根 安静時と運動時の心電図、それとMRIなどの検査です。半日程度で終わりました。特に体の負担もなく終了し、結果は数週間後の番組の生放送中に発表されるという段取りでした。ところが翌日、病院から早急に再検査をするようにと連絡が入ったんですね。再検査といっても大したことじゃないだろうと思いながらも、とりあえず数日後に再検査を受けに行くことにしました。そうしたら、再検査の日、番組スタッフが収録のために病院で待機しているではないですか。「え?まだ収録続くの?」と思いました。このときはまだ、事の重大さに気づいていなかったんです。
異常を見つけてもらえてラッキー
――再検査で冠動脈の狭窄が確認されたのですね。
関根 再検査では、造影剤を使ったMRI検査を受けました。そうしたら先生から、心臓の太い血管3本のうち2本が75%以上詰まっていると言われたのです。それだけではピンとこなかったのですが、「62歳の男性を無作為に100人抽出して検査したら、関根さんは4番目に悪いレベルです」と言われて、これは大変なことだと思い、すぐに治療を決心しました。先生から提案された治療法は、開胸不要のカテーテル手術。カテーテルを冠動脈まで入れて実際の血流を検査して、もし血流が悪ければ、そのまま血管を広げる処置ができるというものです。再検査したのは画像検査専門病院だったので、そういった手術のできる病院を紹介してもらいました。
――突然の告知のあと、すぐに手術に踏み切れたのですか。
関根 そのまま放置しておくと2年以内に何かが起きる可能性が高い、最悪、心筋梗塞で倒れる、と先生がおっしゃったのです。実は僕の父も60代半ばで心筋梗塞で倒れて、電気ショックで蘇生したので、番組で異常を見つけてもらえて本当にラッキーと思いました。
――カテーテルという細い管を患部まで挿入する治療に不安はありませんでしたか。
関根 おかげさまで僕は医療情報番組に何度も出演させてもらっていまして、カテーテル特集の回では、カテーテルがいかに優れた治療器具であるかを目の当たりにしたのです。それが7~8年前ですかねえ。ということは、今はさらに医療技術が進化しているわけです。だから不安は感じませんでした。手術してくださる先生もカテーテル治療の経験が大変豊富な方で、安心できました。
――関根さんが受けられたのは、ステントで血流を取り戻す治療でした。手術中、その様子をご自身でご覧になっていたそうですね。
関根 そうなんです。局所麻酔で意識もしっかりありましたから、自分の心臓を動画で見ていました。驚きですよね。そういう状況も全部収録されました。先生も、どうぞどうぞ撮ってくださいっておっしゃって。最初に冠動脈の詰まり具合を検査するカメラ付きのカテーテルを入れ、実際に血流が悪かったら、ステント留置用のカテーテルに入れ替えると言われていました。まずは麻酔した左手首をほんの少し、数ミリ切って、そこからカテーテルを挿入しました。先生の技術がまた素晴らしくて、さささささっとカテーテルを入れてから、1分足らずで冠動脈に到達。先生と、「関根さん、アウトです。相当血流が悪いです」「ステント入れますね」「お願いします」なんてやり取りをして、検査用カテーテルからバルーン付きのものに入れ替えて、ステントを入れてもらいました。これがまた早い。冠動脈2本分やりましたが、検査と手術と合わせて2時間くらいしかかかりませんでした。
――痛みや違和感はありませんでしたか。
関根 血管には神経がないので、カテーテルを通している間も、ステントを入れたあとも、痛みや違和感はまったくありません。手術中、カテーテルを入れている手首は、麻酔でぼよんとしていましたが、痛みはありませんでした。カテーテルを送り出す先生の手が、僕の手に触るくらいで、それ以外は何の感覚もなかったです。手術のあとも、手首の傷は数ミリくらいですから縫合の必要もなく、止血ベルトでしばらく固定したあと、絆創膏を貼っておしまい。麻酔が切れたあとのために、痛み止めの薬をもらいましたが、ちょっとじんじんしたくらいで痛み止めを飲むほどでもなかったんですよ。3日後くらいに絆創膏を取ったら、もう何ともありませんでした。
――入院期間も短かったのですよね。
関根 2泊3日でした。僕だけ短くしてもらったわけではなく、この手術の場合は皆さん同じです。入院して検査をして、次の日の10時から手術。2時間程度で終了して、その翌日には退院しました。退院後はその足でラジオ番組にも出演しました。
手術動画を見てSF映画を思い出した
――血流が正常に戻ったことを実感することはありますか。
関根 これまでゴルフをしたり、舞台で激しく動き回ったりすると、息切れすることがありましたが、今はそれが減りました。手術の後、改めて手術を記録した動画を見せてもらったのですが、ステントを入れた途端、ダムの放流のように一気にぶわっと血液が流れ出したのには驚きました。これまでこんなちょろちょろの血流だけで、よく心臓が動いていたな、危なかったなあと思いましたね。この動画を見ていたら、子どものころに観た『ミクロの決死圏』というSF映画を思い出しました。その映画は、ミクロサイズになった人間が、
――手術して3年が経ちましたが、金属が体内に入っているという感覚はありますか。
関根 まったくないですね。ごく微量な金属だからか、空港の金属探知機でブザーが鳴ったこともないです。体内に金属が入っている証明カードを持ってはいますが、1度も使ったことはありません。小さすぎて反応しないのでしょうね。今は3カ月に1回、血液検査など、定期検診に行っています。手術の1年後に1度、血流やステントの機能を、カテーテルを入れて再確認する検査をしましたが、問題ありませんでした。
――手術後、気持ちや生活で変化したことはありますか。
関根 僕の場合は血管が詰まりやすい遺伝的な体質があると思うので、再狭窄に注意しなければと思っています。
今回で治ったと安心して不摂生などしないように、食事にも気を遣うようになりました。体重管理も運動もして、健康には気をつけていたつもりでしたが、今から思えば僕の食生活はちょっと乱暴でしたね。脂っこい料理や甘いものが好きで、野菜をあまり食べなかったからなのか、いわゆる悪玉コレステロール値が高かったんです。とんかつを食べに行くと、後輩から「年齢のことも考えてキャベツから食べるようにしてください」と言われていたのですが、心臓が悪いと分かる前は、とんかつを食べに来ているのに、なぜキャベツから?と聞く耳を持ちませんでした。手術後もとんかつを食べますが、「キャベツファースト」です(笑)。血糖値のコントロールには「大豆ファースト」も効果的と聞いたので、朝食にはまず豆腐や納豆から食べることも実践しています。
――お孫さん、つまりお嬢さんである麻里さんのお子さんも元気の源とか。
関根 父が75歳で他界したので、僕もそのくらいまで生きられればと思っていましたが、今は孫がかわいくて欲が出ました。孫が成人式を迎えるまでは、元気でいることが目標です。
カテーテル治療への不安を軽減できれば
――今回、先進医療技術を実体験されて、どのように思われましたか。
関根 体への負担が少ないという点が素晴らしいです。カテーテル治療は入院期間も短く、仕事がオフの間に済ませられたので、仕事にも影響はなかったです。こういった医療技術がない昔だったら気がつかずに命を落としていたでしょうし、現代でもカテーテルが普及していない時代なら、バイパス手術だった。今の時代に生きていてよかったです。今回、検査から入院、手術まで、全部テレビカメラが入って放映されましたが、それは、カテーテル治療を受ける患者さんの不安を少しでも軽減できればと思ったからです。体への負担も少ないし、安心してほしいというメッセージが伝わったらうれしいですね。面白いことに、僕がステントを入れていると分かったら、「実は僕も」「私も」と名乗りを上げる人が多かったんですよ。ステント仲間が周囲にこんなにいたなんて。意外とよくあるのだなと思いました。
――心臓ドックを受診するタイミングについて、アドバイスはありますか。
関根 ときどき息切れがするとか、ご家族が心臓病を患ったとか、リスクが高いと思われる方には、50歳を超えたら1度は心臓ドックをお勧めしたいですね。何事もなければそれに越したことはないし、万一異常が見つかったら、早期発見されてラッキーだと思えばいいのです。人生、何でもポジティブに捉えることが大事だと思います。
(2019年6月3日 都内にてインタビュー)
「医療機器体験談」は一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会出版のエッセー集『出会えてよかった』第1集~第3集より引用しています。